神様なんていない。だから自分で決めるという選択。
神様なんていない。だから自分で決めるという選択。

神様なんていない。だから自分で決めるという選択。

才能があっても、
愛する家族がいても、
まだまだいろんなことをしたいと思っていても、
どれだけ生きたいと願っていても
それが叶えられない運命に見舞われることがある。

昨日がんになり、その苦しみから
スイスでの尊厳死を選んだ女性のドキュメンタリーを見た。

仕事も子育てもがんばってきて
子宮頸がんからがんが全身に転移し
脳まで転移したがんが視力をも奪ってしまうという
なんとも理不尽で残酷な症状だった。

その生活、闘病の苦しさから尊厳死を選び
スイスに旅立ち、そこで自分の手で死を選ぶまでを綴っていた。

進行の早いがんで、止めることができない。
痛みや症状の進行が死を決断させた。

残される子どもたちに何年分かの手紙を用意し、
手書きのレシピを残し
自分がいなくなった後のことまで心を尽くしている。

痛みを抱えながら
そこまでできる、やろうとする強さに驚いた。
うんうんうなっているだけでなく
毅然として、自分の身に起こった理不尽さを
画面の中では受け止めている姿が映し出された。
もしかしたら陰では、夫の前では泣いていたかもしれない。
それでも、自分で自分の行く道を選ぶ強さは並大抵ではない。

カメラはベッドに横たわり
最後までテレビ電話で子どもたちと話し、
旅だっていく様子を記録していた。

母が末期のがんで痛みと戦っていたことを思い出した。
あまりにつらそうな姿を見て
「私たちは大丈夫だから、がんばらなくていいよ」と伝えた。
母は、その翌日亡くなった。

自分たちのために戦って生きて・・・
そう言うべきだったのか、ずっと心にひっかかり続けた。
でも、痛そうな、苦しそうな姿は見ていられなかった。

ドキュメンタリーの彼女は自分で選んだ。
「生きれるものなら生きたい」。
そう語っていた。

私は自分の死を自分で選んでいいと思っている。
自殺も尊厳死も、いずれの死も。
生まれてくることを選べない私たちは
自分に起こるさまざまなことに対して
自分で選び、決断する権利があると思う。

一生懸命生きていても納得のいかない理不尽さに出会ってしまう。
神様はいない。神様は自分自身。
だから、自分のことは自分で決めていいのだと強く思っている。

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